10月26日
大好きな父が亡くなりました
約一年前・・・11月も終わりかけの頃だったと覚えています
どうしても体調が悪いと病院に行ったところ
すぐに大きな病院で検査してくださいと言われました
行った先の病院では
いつ何があってもおかしくない状態ですと・・・・
まるでドラマのような台詞
もう訳のわからないまま
入院・・・
数々の検査に抱えきれない程の辛い現実
仕事をしながら
病院へ通い
時には入院・・・
年末には父の体調が良くなく
お正月は病室で過ごしました
毎年夫婦で食べに来てくれていた
makanaiyaのクリスマスディナーも
当然その時はキャンセル
私にとっては
とても寂しいクリスマスでした
治療薬には、とても辛い副作用がありましたが
少し良くなったら
また仕事もしました
体調の良いときを見計らって
一緒にいちご狩りに出かけたり
春には桜が咲くのを楽しみに
お散歩がてら水生植物園へ出かけたり
父の66歳のバースデーケーキは
父・母・私・妹の4人で・・・食べました
誰も口に出さなかったけど
きっと父にとっては最後のバースデーケーキだなと
思っていたと思います
通院日には
私もなるべく仕事を休み
父母に付き添いました
先生の話を一緒に聞く日もあれば
待合で待つだけの日もありましたが
父母のお話し相手になれば・・・
あとは、大変な宣告を母一人で聞かせるわけには
いかない・・・そんな気持ちでした
入院中も
仕事が休めるたびに
顔を見に行きました
娘や息子を連れて行くと
本当に喜んでくれるので
週末になると
子どもを連れて実家や病院・・・
父がいる所へと行きました
大阪に住む妹も
子供が小さく
まだまだ出にくい中
何度も滋賀に来てくれました
いつでも
病院や自宅で過ごす父のところへ行けるようにと
なるべく遠くに出かけるのは控えて
友人との約束も最低限にしました
いつ、何があってもすぐに駆けつけられる様に・・・
そんな気持ちもありました
夏の終わり
長年 母と一緒に自営で頑張って来た仕事に区切りをつけるため
廃業
9月に入ってすぐ
入院と同時に
外出許可をもらいながらの残務整理
取引先様への 廃業の挨拶状作り
廃棄物の仕分け
私に出来ることは・・・と手伝いました
私達姉妹や、母との生活を支えてくれた
大切な仕事場です
好きなことをさせてもらい
不自由なく育ちました
父自身も、自分の仕事に自信と誇りをもって取り組んでいた
大切な工場です
複雑な気持ちもありましたが
なるべく明るく淡々と
作業にかかるように心がけました
無理をしながらでも
動けたのは
この頃が最後だったと思います
10月も半ばに差し掛かる頃には
母も病室に寝泊りさせてもらい
ずっと父に寄り添っていました
調子の良いときは
大好きなフルーツやアイスクリームを食べたりしながら
ゆっくりゆっくり
穏やかに時を過ごしました
どうしても痛みが辛い時には
母と一緒に私も父の身体をさすりました
大人になって親の手を握ることがあるんだ・・・
とても複雑な
とても悲しい思いで
父の手や脚や身体を何度もさすりました
最後の最後まで
家のことや
母のことや
私のことや店のことを
そして
滋賀から離れて暮らす妹のことを
気にかけてくれていました
26日
夜中2時すぎに
病院にいる母から電話があり
お父さんの血圧が下がってきたと・・・
そう先の事ではないと
覚悟をしながらの数日だったにもかかわらず
やはりその現実に直面すると
冷静ではいられず
電話を持つ手が震えたり
なんだか訳のわからない手順で着替えたり
何を持って出たら良いのか
よく分からなくなったり
気分が悪くなるくらい喉が渇いたり・・・
なんとか身支度を整えて
夜中の病院へ・・・
話しかけたり
手を握ったり
何も言わない父の側で時を過ごし
ずっとお天気のすっきりしない日が続いていたのですが
父が逝く時は
お日様が出て
本当にポカポカと暖かい
思い出すと不思議なくらいに
優しい陽のさす明るい部屋で
26日の午後・・・
家族で静かに看取りました
今でも、普通に実家のリビングで
テレビを観ながらご飯を食べているような
気もするし
工場で仕事の続きをしているようにも思うし
でも
亡くなってからの様々な手続きで
これが現実なんだと思わずにはいられないし
それでも過ごさなければならない日常・・・
仕事でお店に出る日々で
少しその悲しいことから離れられたりもするし
だけどやっぱり
なんでお父さんは写真の中にいるんだろう・・・と
実家の真新しいお仏壇の前で
父の遺影を見て思うし
なるべく普段通りにしようと
病気のこと
具合が良くないこと
そして亡くなったこと
人にもあまり言わずに過ごしてきましたが
四十九日が過ぎ
これはひとつの節目かなと
ちゃんと区切りつけて
先に進んでいかないとと
そんな訳で
今日のこのブログです
母も
一人には広すぎる家にはなりましたが
実家で父を思いながら・・・
でも、新しい生活へと
少しづつ 頑張っています
この数ヶ月
私があまりお店に居ないことを
心配してくださっていたお客様も
おられました
ので、こんな訳でした

実家近くからの景色
父が亡くなって
病院から家へ戻ってくるときに
父と一緒にのった寝台車から見た夕日も
こんな風に綺麗でした
日が山に沈むのを
眠る父の横で見ていたのですが
命の灯が消えるのと同じくらい
ゆっくりで
穏やかで
だけど
その瞬間はあっけなく
儚くて
もう元には戻れなくて
とても悲しくて
でも
本当に夕日が綺麗で
ずっと見ていました
仕事を生きがいに
家族を大切に
釣りを楽しみに
真面目な父でした
闘病中は
こんなに父親や母親と一緒にいたことは無いというくらい
一緒に過ごすことができ
色々と都合をつけてくれた家族や
お店のスタッフには本当に感謝しています
それが たった一年だったのは辛かったけど
私なりの親孝行は出来たかなと
精一杯生きた
父の人生の幕引きには少し早過ぎましたが
よい家族だったと
よい人生だったと
雲の上でおじいちゃんおばあちゃんに報告してくれているといいなと
思います